KAWASAKI ZEPHYR SERIES HISTORY

ZEPHYR400(ZR400C 1989〜1995) スペック


1980年代。日本のバイク市場は空前の規模で活況を呈していた。フルカウルの高性能車=レーサーレプリカが飛ぶ様に売れ各メーカーの開発合戦に拍車がかかっていた中、1986年の初夏一人のカワサキセールスマンの小さな思いが一大プロジェクトへと発展していく! そのセールスマンの愛車は日本風土が生んだ名車『750RS』ZUであった、空冷4気筒への情熱である。

当時の「乗りたいバイクが無い」と言う30代前後のユーザーに向けて、コードネーム『999』プロジェクトがスタート!
その当時、免許制度によりユーザーの大半は『限定付き』中型自動二輪免許保持者で、試験場での一発実技試験でしか取得出来ない通称(限定解除)、大型自動二輪免許は平均合格率3%以下と非常に狭き門で(私も7回目で取得)
86年『999』プロジェクト製品企画会議でも、400ccの安価なプライスバイクを開発せよ!と言う事であったらしい!

--開発コンセプト--
『美しいフィンを持つ空冷4気筒エンジンを搭載し、個々のパーツが美しさと存在感を備えていて、常用域でのスポーツ性を重視し、ゆったりとしたライデングポジションを形成する、カワサキらしさを感じさせるデザインで、時代に左右されないロングライフモデル』

1989年4月このコンセプトは市場でも受け入れられ、日本のバイク史に残る記録的な大ヒットとなる。
オーソドックスなノンカウル車を示す『ネイキッド』という言葉も生まれ、今現在ひとつのカテゴリーとして定着している。
他社のネイキッドの追随を許さない存在感と風格は、かつてZ1を世に送り出した時と同じ旋風がこの時吹いていた
ZEPHYR(西から吹く風)正にこの時Z神話の第二章の始まりでもあった!


ZEPHYR χ(ZR400G 1996〜2009) スペック


1989年の初代ゼファーの発売以来、7年間の沈黙を破って登場したのが『ZEPHYR χ』である!

巷では初代ゼファーのマイナーチェンジと言う人も居るが、ゼファーχは列記としたフルモデルチェンジなのである、
その証拠にゼファーシリーズのデザインを担当した内山徹氏は後にこう言っている、「ゼファーほどスタイリングデザインを考え抜いて造ったバイクはない」。
96年にゼファーχへとモデルチェンジした際もスタイルの要となる燃料タンクの形状を変える必要が無かった!そこまでの完成度に仕上げていたと・・・・。 外観的には小変更に見えるが、完全なフルモデルチェンジ、別物なのである! 

エンジンを掛けるとそれはアイドリングをし始めた瞬間から感じられる、まるで水冷エンジンの様に滑らかに寸分のくるいもなく時を奏でる。 Z400FXから脈々と受け継がれてきた、伝統の400マルチエンジンの集大成のようにも思える!
カワサキノイズと言われるアイドリング時の機械的ノイズ、如何にも機械を操っている様なシフトフィーリングなど「男カワサキ」は幾らか影を潜め、マイルドな印象を受ける。 走り出してもその滑らかさは変わらない、そして低速域から中速域までが、初代ゼファーとは比べ物にならない位トルキーに仕上げられている。この辺りの味付けは400としてはトップクラスではないだろうか!そして8000回転からレットゾーンまでは、往年のカワサキ空冷400マルチらしい「クオーン」と唸る気持ちの良い排気音と伸びを見せる!かつて400マルチに夢中になった私の年代には、昔遠くの国道から聞こえてきた懐かし音に感じてしまう・・・!

ZEPHYR750(ZR750C 1990〜2007) スペック

ZEPHYR750RS(ZR750D 1996〜2003) スペック


ゼファー400の大成功を受けカワサキの企画開発陣は休む事なくシリーズの増強を図った! ゼファー750の登場である。

前途にもあるが当時は大型免許の取得が非常に難しく、大半のユーザーが中型限定免許ではあったが、とは言え大型免許を持ったユーザーの中にもゼファー400のような個性を持ったバイクに乗りたい方が大勢居るはず。
そう考えて大型のゼファーの開発もすぐに開始したと、開発の吉田 武氏は言う!
大型のゼファーの企画は750と1100は同時期に生まれていたが、どうして750の開発が先に進んだか?
答えは簡単であった、400同様にベースとなるエンジンが、まだ現役で存在していたからなのである。 

そのエンジンは1976年発売のZ650(通称ザッパー)だ! 英語の風切り音「ZAP」から来ている、その他に信号間を風の様に駆け抜けると言う意味もある!
このザッパーに端を発し、Z750FXUV、Z750GP、GPz750F、GPz750turbo、そして辛うじてイギリスへの輸出モデルKZ750Pへとうけ継がれていたのである!

この伝統のエンジンをベースとして750は急ピッチで開発された、その間は僅か10ヶ月! 
そしてコンセプトもバイクの王道750! かつてのZUをイメージさせる物に決定した。 フレーム形状、エンジンデザイン等750がZUに非常に近いデザインとなったのはこの為である! しかし車体設計を担当した古橋 賢一氏(MISTYの代表古橋氏の兄)はこう言う、プライベートでジムカーナやトライアル等を愛好していたため、この事が750の車体設計を開発する上で与えた影響は非常に大きいと。
ステイタス性の大きいのは後の1100に任せて750はとにかく走りを強調したと!
つまり開発当初から750は走りを非常に意識して造られているのである、一時期ゼファー750はジムカーナ最強マシンと言われた話は有名である、バイク便のライダーにも好まれた!


ZEPHYR1100(ZR1100A 1992〜2007) スペック

ZEPHYR1100RS(ZR1100B 1996〜2003) スペック


このゼファーシリーズのフラッグシップモデルとして登場したのがゼファー1100である!

ゼファー1100の開発は一筋縄では行かなかったと、開発の平賀 隆司氏は言う。
何せ400や750の様にベースとなるエンジンが無かったのである。 当時海外にはZ1の発展型であるポリス仕様のKZ1000Pが存在していたが、量産には向かない組立てクランクで、基本設計もZ1のまんまと古く現実的ではなかった。 
そんな中、エンジニアだった麻生 武文氏の案で水冷のZ1200のツアラーモデル「ボイジャー」を空冷化すればと言うアイディアが出た! 

当時のエピソードでZUをそのまま復活させようという動きも持ち上がり、実際に図面まで集めたという話もある!もしスズキの刀の様に実現していたら、いくら借金してでも私は買っていたと思う(笑) 

水冷のエンジンを空冷にするなんて言葉では簡単そうだが、実際にはかなりの難題だったようだ、まず空冷化は熱の問題、ノッキングの問題等、開発作業は苦労の連続だったと平賀氏は言う! 
しかしツインプラグやフレームの一部にエンジンへの通風路を設けるなどして開発は進められていった。

この当時の車体開発には今のように3D技術を駆使してと言うようなことはせず、昔ながらのモックアップ(粘土模型)を削って図面とにらめっこする、人間の五感をフルに活用したアナログな手作業による物だった。
ゼファーシリーズが400、750、1100と、どこか温かみを感じられるのは、この開発陣の並々なる努力の結晶と言える!

最後にゼファー400の商品企画を担当した吉田 武氏の言葉をご紹介しよう。(2007年当時)

『私達カワサキスタッフの想いを形にしたゼファーシリーズが、お客様から20年も愛されてきた。それは何よりの喜びです、しかし私達の思惑とは別の次元で会社の情勢が変わり、750と1100は生産中止になりました。これは一人のバイク好きの私見ですが、ゼファーのようなバイクは今後も必要とされるのではないでしょうか?仮にゼファーが無くなる日が来たとしても、またいつか同様のコンセプトを持ったバイクが出現するのではないかと思います!』 

カワサキイズムは受け継がれて行くのです、そしてZ神話の第三章の風が吹く日まで。